こんにちは、ピアノ講師のやまもりのくまです。
今日は「していいのかな?」と気になる、
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(」゚д゚)」「ピアノの先生って途中で変えていいの?」
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この問題について、私の経験談を踏まえ、考察してみたいと思います。
ぐんぐん力をつけた先にあった挫折
私がピアノを習い始めたのは、ヤマハのグループレッスンでした。
小学生になり、グループレッスンに加え、ピアノの個人レッスンも始めます。
その先生のご指導のおかげで、小さい頃は県のコンクールで金賞をよくもらっていて、人前で弾くのが大好きでした。
練習より本番が大好き。
毎日本番だったらいいのになと思うくらいでした。
(練習があまり好きではなく、本番3日前にエンジンがかかるタイプ)
でも、小学校の高学年ぐらいになると、人前で弾く楽しさより緊張の方が勝ってしまい、自分の思うような演奏が全くできなくなりました。
指の水分がなくなる、口の中も乾く
ピアノの前に座るとピアノの鍵盤が異常に大きく感じる
本番で椅子に座った後、ピアノを弾き始めるまでにすごく悩んでなかなか弾き始められない
体中がこわばり、いつもなら間違えないところで間違えてしまい、それがさらに緊張を生む原因になる
とにかく本番が来るのが恐ろしくて仕方がない
テンポが速い曲は弾けない
表現力皆無。音を鳴らすので精一杯。
練習ではあんなに弾けるのに、本番では練習の3分の一の力も出せていない感じ…
つい数年前まで同じようにコンクールで金賞を取っていた子はどんどん特別賞を取っていくのに、
私は金賞すらも取れなくなっていった年があったような気がします(実はこの辺りの記憶は曖昧なのです)。
この期間は長かった。
小学校の高学年から中学3年間は丸々ダメ。
一番技術も表現も伸びる時期なのに、とても勿体ないことをしました。
ヤマハの先生は、ピアノを教えてくださるだけでなく、曲を作るために休日を返上して私のために丸1日付き合ってくださったり、
遠方の特別レッスンには泊まりがけで一緒に連れて行ってくださったり、色々な面で大変お世話になった先生でした。
あの地域のヤマハの先生の中では、抱えている生徒さんも多かったですし、デキる先生だったと思います(何より美人だった(笑))。
もちろんその先生も、私のそんな状態を気にしてくださっていて、弾く曲を工夫してくださったり、今までとは違うコンクールに出場させてくださったり。
が。
もう、自分でも何がどう悪いのか分からない。
練習してもしてもダメ。
何をどう直せば、この本番の緊張とうまく付き合っていけるのか。
彷徨う日々でした。
先生を変わることで自分も変われた
この状況を抜け出せたのは、高校2年の時。
それまで実に6~7年、本番の緊張に負け、自分の演奏ができない日々が続いたことになります。
そんな状態でしたので、自分の中で、もう音楽の道は諦めかけていました。
少なくとも、自分が演奏者として生きていくのは無理だな、と。
そこで、作曲なら小学生の頃からしていたし、エレクトーンを習っている時にオーケストラやブラスのスコア(総譜)からアレンジもしていたので、
作曲方面で活路が見いだせないかと作曲のレッスンを受けたりもしてました。
でも私のそんな様子を「逃げ」だと確信していた親は、何とかして私にもう一度演奏させようと必死でした。
高校に入り、ヤマハの先生だけではなく、個人で教えている元大学教授の先生にも習い始めます。
その方は、ピアノのために結婚もせず、生涯独身を貫いた方です。
東京芸術大学にも生徒さんを送り出していたり、他の音楽大学にも次々生徒さんを送り出しているような先生でした。
ヤマハの先生にもちゃんとお断りを言って、二重にレッスンを受け始めます。
(ヤマハの先生には、音大を受験する際に必要なソルフェージュの授業などを続けてお願いしました)
この元大学教授の先生とは、小学校の頃に何度か特別レッスンでお会いしたことがありました。
県のコンクール前に、この先生に特別レッスンを受けられる機会があり、先生も私のことを覚えていてくださいました。
実は私のことを心配してくださっていたと、その時初めて知りました。
特別レッスンとコンクールの審査の際に私の演奏を聞いていただくだけでしたが、
大きくなってからは、本番で悩んでいるような、自分の力を発揮できてないような、
そんな私の様子を見て心配してくださっていたようです。
弾けない子じゃないのに、と。
そして、とても遅くはなりましたが、高校に入りこの先生に教えてもらうという決断ができたこと、
これは私の中でとても大きな出来事でした。
ヤマハの先生が悪いわけではないのです。
私はヤマハの先生に教えていただいてピアノというものが大好きになったし、ピアノをただ弾くだけではない、とても多くの体験をさせていただいて、
それが今も私の中で確実に力となっています。
ヤマハで学んできて本当に良かった。
だけど、例えば、演奏をして生きていこうと思った時に、やはりその先生の力だけでは限界であったということでした。
もし本当にピアニストになりたいと思えば、導入はヤマハでも良いかもしれませんが、
割と早い時期、少なくとも小学生の間に、大学教授の先生などについて教えてもらう必要があったようです。
(都会にはヤマハの先生でもすごい方がおられるようですが…まぁ私がヤマハの講師採用試験に合格できる程度なので…)
また、当時は今のようにYouTubeで稼ぐという方法もなかったですし、自分の演奏を聞いてもらうということが、今よりも格段にハードルが高かった時代。
自分の演奏を聞いてもらうには、自分がピアニストになる以外の方法は考えられませんでした。
だからこそ、諦めていた訳ですが。
そして、この元大学教授の先生に学ぶことで、私のピアノは劇的に変わりました。
レッスンはだいたい1回2時間。
3曲くらい見てもらいます。
地方でしたので、1回のレッスンで1万円。
お高く感じるかもしれませんが、都会では20分1万円の世界です。
そう考えると破格です。
私、実の親はあんまり好きではないのですが、ピアノに関しては頭が上がりません(笑)
この元大学教授の先生のレッスンで一番印象的だったのは、その技術もそうですが、何より知識の多さ、その深さです。
私がレッスンで持っていく曲についてもそうですが、その作曲家、またはその友人関係、時代背景、楽器についての知識、その時代の常識など、
私が今まで考えたこともない、でもクラシックを弾くには絶対に知っておかなければならないことを、惜しみなく、どんどん教えてくださいました。
先生にも、もっと早く来ていれば、と何度も言われました。
スポンジが水を吸収するようだと。
もっと教えたいことがある。
もっと弾かせてあげたかったと。
私も、もっと早く習いに行っておけばよかったと、本当に思いました。
少なくとも、自分が演奏に悩んだ時、その解決策が見つけられなかったのであれば、
他の先生に変わることを考える必要があったな、と。
先生を変わった後の、私の変化
さて、先生を変わった後、私自身はどう変わったのか。
気になりますか?( ̄▽ ̄)ニヤリッ
まずは、本番が怖くなくなったんです。
むしろ、楽しくなった。
本番の日に、自分がどんな演奏ができるのか、もちろん緊張もありますが、とても楽しみになった。
更に、高校生でも出られる県内のコンクールに出場。
県コンほどではありませんが、高校になると出るメンバーは限られており、ほぼいつものメンツ。
私が「いつもこの子には勝てないんだよな~」と思っていた子は出場していませんでしたが(笑)、
そのコンクールでやっと特別賞を獲得。
その後、地方大学の教育学部音楽科へ進学し、大学時代には「日本クラシック音楽コンクール」というコンクールに出場。
全国大会にまで残ることができました。
ピアノの先生を変わりたいなら、その理由を深堀りしてみて
私の場合は、先生を変わってよかった。
(正確には、その時すぐにヤマハを辞めたわけではないので完全に変わったわけではないのですが、それでもピアノ演奏をメインで教えてもらう先生は変わりました)
決断の時期は遅すぎたとは思いますが、それでもあの時、元大学教授の先生に教えてもらえて、私の世界は変わりました。
あなたの場合はどうでしょうか?
変わった方がいいかどうかの答えは、あなたの中にあります。
ピアノを習っているのは何のためですか?
誰のために習っているのですか?
まさか先生のお給料のために習っているわけではないですよね。
自分の中に「この先生で大丈夫かな?」なんて思いがあるうちは、習っていても伸びは少ないです。
(実際私は、エレクトーンの先生が変わり、頼りなく感じてしまったのもエレクトーンをやめる一因でしたし)
(エレクトーンについてはこちらのページに書いております)
あなたが先生の力不足を感じて「先生を変わりたい」と伝えたとして、
もしその先生が怒るくらいなら、厳しい言い方にはなりますが、その程度の先生、ということです。
本当に自分の力量がわかっている先生は、喜んで自分より指導力のある先生を紹介すると思います。
それが、あなたのレベルアップのために必要なことだからです。
あなたが「先生を変わりたい」と思った理由は何でしょうか?
「合わない」と思った出来事は何?
どんなところが合わないと思ったのでしょうか?
なぜそう思ったのか、どんどん深堀りしてみてください。
安易な考えでのピアノの先生の変更はオススメしませんが、
あなたの中で確固たる思いがあり、
こうなりたいという未来があり、
そのために今、ピアノの先生を変わることが必要であるならば、
私は、あなたにとってその決断は、必要なのかなと思います。
あなたのピアノライフが、あなたにとってより良きものになりますように(^^)